あらすじ(ネタバレなし)
とある医院の娘が、20ヶ月も身籠ったままだという噂が流れる。そしてその夫は密室から失踪したという。その医院の家族が、謎を解き、家族の崩壊を防いでほしいと探偵に依頼する。その探偵の事務所に居合わせた文士・関口巽(せきぐちたつみ)は、事件の真相を探るために動き出す。
古本屋にして陰陽師の中禅寺秋彦(ちゅうぜんじあきひこ)が憑物落としをする、「百鬼夜行シリーズ」の第一弾。
感想(ネタバレなし)
妖怪話のように見えて、実は科学的ミステリー。
タイトルは「うぶめのなつ」と読みます。姑獲鳥はとある妖怪の名前で、この妖怪が作中に何度も登場するのですが、決して妖怪小説ではありません。妖怪は存在しないが、妖怪を欲する社会集団ではその妖怪は確かに存在するという見方でした。矛盾や齟齬を埋めるために必要な潤滑油として、社会が妖怪という存在を作り出しているという、極めて科学的な発想のもとに物語は作られています。
私は京極夏彦の「百鬼夜行シリーズ」というもの知らずに、第三弾の「狂骨の夢」を先に読みました。(狂骨の夢の感想はこちら)
狂骨の夢は、どう見ても妖怪の仕業としか思えない奇怪な事件が、理路整然としっかりと解決されていました。その緻密さが素晴らしいと思い、第一弾の「姑獲鳥の夏」から順番に読んでみようと思いました。
姑獲鳥の夏は、狂骨の夢に比べると納得出来ないところが多かったです。謎解きを楽しみたいタイプのミステリー好きの人が読んだら、絶対に文句を言うと思います。「いやいや、それはちょっと卑怯だよ!」って。
私は謎解きを楽しむタイプの人ではないのですが、それでも「ちょっとこれは厳しいのでは。」と思いました。狂骨の夢に比べると、やや妖怪っぽい感じがしました。
ですが、「既存の探偵小説をぶっ壊す」ようなインパクトはありました。一般的な探偵小説とは明らかに一線を画しています。探偵小説というよりは、科学小説や医学小説、心理学的小説と言ったほうが適切かもしれません。さらに、妖怪などの民俗学や、宗教学なども混ざっていて、好奇心がくすぐられるような内容でした。特に、「呪い」を超自然的なものとしてではなく、民俗学的に解き明かしていくのには非常に好感が持てました。
感想(ネタバレあり)
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正直なところ、ちょっとやり過ぎなんじゃないかなとは思いました。やり過ぎだと感じた点は2点あります。
まず、事件を解決しようとする立場である関口巽が、目の前にある死体を認識していなかったという点です。
読者は関口の視点からの観察を判断材料として、事件の全容の糸口を探っていくのですが、その関口の視点が間違っていたのですから大変です。
そもそも姑獲鳥の夏のテーマのひとつとして、「心」と「脳」と「意識」の関係というものがありました。見たものや聞いたもの全てが必ずしも意識に上がってくるわけではありません。脳が必要だと思ったものを意識の中に登場させ、必要ないと思ったものは意識にのぼりません。意識にのぼらないということは、本人は「見た」ということや「聞いた」ということ自体をも認識できません。
また、「心」というものも均衡を保つために意識に作用します。心の均衡を保つために、あるはずのないものを意識の上に登場させたりします。
こういった「心」と「知覚」の矛盾を解消するために、人々は「妖怪」や「霊魂」などといった超自然的なものに頼っています。
すごく端折った説明ですが、この理論は極めて説得力があって面白かったです。小説を読んでるはずなのに、いつの間にか医学や民俗学の話になっていて面白かったです。
そういうわけで、関口が目の前の死体を認識できなかったというのはありえないことではありません。しかし、ミステリーとしては完全にやり過ぎです。あまりに突拍子もなさすぎて、置いてけぼり状態でした。
もうひとつやり過ぎだと思ったのは、久遠寺涼子(くおんじりょうこ)の多重人格です。私は多重人格を扱った小説をそもそもあまり信頼してません。「多重人格」というだけでかなりの無茶も通ってしまうからです。「なんでもあり」的な設定にしてしまうのは卑怯だとさえ思っていますので。関口と同じように、涼子にも死体が見えていなかったというのはちょっとやり過ぎです。
ですが、涼子のそれぞれの人格が分担して事件を起こしていたという真相は、なかなか衝撃的でした。幼い頃から性的虐待を受けていた人格の「京子」が幼児をさらい、久遠寺家の女性としてあるべき姿でいようとした人格の「母」が、幼児を殺してホルマリン漬けにしていました。元々の人格であった「涼子」は、事件の真相を意識の上では知らない状態ですが、何か予感のようなものは感じていました。だから探偵に相談に行きました。他の人格の起こした事件を露見させるために、「涼子」という人格が動きました。
姑獲鳥の夏で一番心に刺さったのは、性的虐待によって生まれた「京子」という人格が、過去に関口に助けを求めていたことでした。20ヶ月間妊娠している久遠寺梗子(くおんじきょうこ)の夫である藤野牧朗(ふじのまきお)は、かつて梗子に恋文を書いていました。その恋文を渡す勇気がなく、関口に「渡してきてくれないか。」と頼みます。
関口は恋文を渡しに久遠寺医院へと赴きますが、実は受け取ったのは涼子でした。その恋文の宛名には「久遠寺京子」と書いてありました。「梗子」を「京子」と勘違いして書いたものです。その時の涼子は、性的虐待を受けることで生まれた人格で、恋文の宛名の「京子」という文字を見て、自分が「京子」であると認識し、自我が生まれます。
京子にとっては、これは現状を変えることのできるチャンスでした。しかし、恋文の返事を書いて実際に相手に会ってみると、それは関口ではなくて藤野でした。
なので、探偵事務所にやってきて関口に助けを求めた涼子にとっては、実は二度目のお願いだったことになります。結果として関口は誰も救えませんでしたが、涼子は関口に感謝します。いずれ破綻する地獄のような状況を終わらせるきっかけを作ってくれた関口に対して。
この、涼子と関口の関係は非常に切なく書かれていて魅力的でした。その他の登場人物のつながりも非常に魅力的で、基本的には辛いことの多いストーリの中に、ボヤッとした光を投げかけてくれていました。
コミュニティーの中で迫害を受け続けていた久遠寺の人たちも、その家に関わった人たちも、リアリティーのある描写でした。医院長の妻の久遠寺菊乃(くおんじきくの)が、終盤キャラが完全に崩壊していましたが、他のキャラクターは一貫していて、行動にも説得力がありました。
キャラクターの心情を読んだり、人情モノとして見る分にはとても面白かったです。
その代わりにミステリーとしては納得できないところは多かったです。「やり過ぎだ」と思ったふたつのこともそうですし、他にも納得できない部分は多かったです。
死体が鹸化していた話とかもどうなのでしょう。ちょっと適当すぎた気がします。想像妊娠についても、ちょっと適当すぎな気がしました。探偵の榎木津礼二郎(えのきづれいじろう)が、他人の記憶を見れてしまうというのは、完全にチートだと思いました。
狂骨の夢のときは全てがすっきりして、こんなに納得のいかないことはありませんでした。そういう意味では、姑獲鳥の夏は狂骨の夢には全然及ばないと思いました。まだ百鬼夜行シリーズは二作しか読んでいませんので、シリーズ全体として良いか悪いかはまだ判断できません。もう一冊読んで様子見といったところです。
キャラクター的には姑獲鳥の夏のようなお話を、ミステリー的には狂骨の夢のようなお話を期待したいところです。
気づかなかった解釈を知れて、
さらにこの作品が好きになりました!
お願いしたいことが、「ペンギン」様にあるのでよろしければご一読願いたいです。
私はYouTubeで小説紹介をしたいと考えているのですが〔まだチャンネルすら作っていませんが。〕このブログでされていた解釈をお借りしてよろしいでしょうか?
もちろんこちらから拝借したことは明言致します〔ご迷惑でなければブログ名を明言しようと考えています。〕
「関口と久遠寺涼子の切ない関係」の説明がとても印象にうけました。
よろしければ許可不許可を教えていただけるとありたいです。
上のYouTubeの件に関しては、
中止致しましたので、返信は無しで大丈夫です。