聲の形

映画「聲の形」 山田尚子

あらすじ(ネタバレなし)

石田将也(いしだしょうや)の小学六年生のクラスに、聴覚障害を持つ少女・西宮硝子(にしみやしょうこ)が転校してくる。硝子はクラスに溶け込もうと努力をするが、次第に嫌がらせやいじめを受けるようになっていく。
ある日石田将也は、西宮硝子へのいじめの主犯格として名指しされ、石田自身がいじめを受けるようになる。
高校生になった石田は自殺することを決め、その前に再び硝子に会いに行く。

感想(ネタバレなし)

断罪か、それとも贖罪か。

タイトルの読み方は「こえのかたち」です。決して「かにのかたち」ではありません。

小学生の頃のいじめは、多くの場合はからかいの延長線上であることが多いと思います。
本当に悪意を持ってその人を傷つけてやろうというような、明確な意志があってのいじめというものは、それほど多くはないように思います。

自分とは話が合わないから無視をしていて、それがエスカレートする。
気になっている子にちょっかいを出す。それがエスカレートする。
なんとか菌をつけあって、タッチバリアとか言ってふざけるのが楽しかった。それがエスカレートする。
人を貶めることで自分のクラスでの優位性を確認する。それがエスカレートする。

いじめている側に罪の意識は薄く、「先生にバレたら怒られる」くらいの意識なのではないのでしょうか。

しかし、人格の基礎が作り上げられていくこの時期に受けた心の傷は、その人のその後の人生を決めるような大きなものです。場合によっては「自殺」という最悪の結果になることもあります。
いじめている本人に大きな悪意がなくても、容易に許されるものではありません。
「ごめん」という言葉でも、「警察」という制裁でも、「お金」という形でも、許されて良いものではないのです。

では、いじめた側は、その断罪を一生背負わなければならないのでしょうか。
自分の犯した罪の大きさに気づき、それに後悔し、本気で悔い改めようとする人に救いはあるべきでしょうか。

そんな問いを投げかける映画です。
作品としての答えは出してくれています。
それを受け入れるか、受け入れないか。それは視聴者それぞれが決めることですし、「聲の形」をきっかけにして話し合い、お互いに考えられればより良いことと思います。

実はテレビのCMで映画公開を知って以来、ずっと気になっている映画でした。ですが、CMでAIKOさんの曲がこれでもかってくらい流れていたので、見るのを少し躊躇していました(AIKOさん、AIKOさんのファンの方々ごめんなさい!)。
ですが、実際に映画を見てみたら、オープニングの曲は「The Who」の「My Generation」じゃないですか!テンション上がりました。

更に、石田のことを親友と言って強引に仲良くしようとしてくる永束(ながつか)と、映画「Stand by Me」でやってたような握手がをしていて、完全におっさんホイホイでした。
聲の形握手スタンド・バイ・ミー握手

聴覚障害を持った少女という難しい役を演じたのは、早見沙織さんです。おそらく、ものすごく勉強をして硝子の役に挑んだのだと思います。作品を上質なものとする、大変素晴らしい演技でした。

ちなみに私の推しは、植野直花(うえのなおか)です。
植野直花

映画の中ではかなりの悪役ですが、小学生の頃のいじめに一番真っ直ぐに向き合っていたキャラクターではないかなと思いました。いじめに加担したことに真っ直ぐ向き合っていたと思います。
あと猫耳!

「京都アニメーションだぜ萌だぜ!」と思って手を出すとヤケドします。でも、「萌だぜ!」って思ってヤケドして、それで考えるきっかけになったのなら、それは良いことだなと思います。
イジメや障害をテーマとした、問題提起的な作品です。猫耳ばかりにうつつを抜かさずに見てほしい作品でした(ただし猫耳は最高)。

感想(ネタバレあり)

ここから先は、物語の核心に触れる記述があります。まだこの映画を見ていない方はご注意ください。




















硝子が優しすぎるのです。健気すぎるのです。だからこそ成立する贖罪でしたし、一般的には贖罪を成立させるのは難しいのではないかと思います。

最も不可解だったのは、硝子が石田を好きになった理由です。
プレゼントを持って、ポニーテールにして、勇気を振り絞って「好き」と告白する硝子ちゃんはとてもかわいかったです。まあ、石田は「月」としか聞き取れないという残念展開でしたが。

石田としては、始めは硝子のことがわからなかったのでしょう。クラスで浮き始め、嫌がらせを受け始めた硝子が、それでもみんなと仲良くしようと笑っているのが理解できなかったのだと思います。
その理解できないが「気持ち悪い」という感情になり、イジメへとエスカレートしていきます。
補聴器を耳から無理やり取って投げていたのも、本人としては「遊び」のつもりだったのでしょう。

しかし、石田はこのあと思い知ることになります。
補聴器の弁償代(170万円)を持って硝子の母親のもとに謝りに出向き、耳のピアスを引っこ抜かれて耳から血を流す自分の母親の姿を見て思い知ることになります。自分の犯した罪の大きさを思い知ることになります。

石田の父親が登場しません。おそらく女手一つで二人の子を育てたのでしょう。頑張る母親、優しい母親の姿を見て育った石田には、罪の大きさを知るに足る出来事だったと思います。
その後、自分自身がイジメられる対象になることよりも、ずっと辛い出来事だったのではないかと思います。

石田は高校生になり、バイトをして母親にお金を返し、そして自殺をしようとします。
なんと愚かなことでしょう。また親不孝を働こうとしたのです。
死ぬ前に硝子に会い、あわよくば許してもらおうと思ったのでしょうか。
母親にお金を返し、あわよくば許してもらおうと思ったのでしょうか。
結局死ぬこともできず、170万円は燃えてしまうという体たらくです。

さて、硝子はなぜこんなへっぽこ石田のことを好きになったのでしょうか。

硝子は自分のせいで周りの人が不幸になったと思っていました。

植野直花たそ(猫耳)はこんな事を言っていました。
「硝子が転校してこなければ、石田がいじめられることもなかったし、当時の友達とギクシャクすることもなかった。」
植野直花たそ(猫耳)はこれを事実として言いましたが、だから硝子が悪いとは思っていなかったと思います。

あくまでも自分はいじめに加担していないと、一貫して言い張っていた川井みき(かわいみき)に対して、「小学生の時に硝子をいじめていた件で、私達に石田を責める権利はない。」と言います。
植野直花たそ(猫耳)は自分たちが悪かったことを理解していますし、おそらくその罪の大きさも、それが一生許されないことも理解していると思います。
だから、植野直花たそ(猫耳)は硝子が悪いとは思っていなかったと思います。

でも、硝子本人は違っていました。硝子は硝子自身が悪いと思っていました。
自分のせいで周りの人が不幸になっていく。
だから自殺を決意しました。

この子もバカ野郎のトントンチキです。
硝子が悪い訳ありませんし、硝子が死んでしまったら不幸になる人がたくさんいたじゃありませんか。
全然わかってないです。

それどころか、自分の代わりに石田がベランダから落ちることになってしまい、危うく死ぬところでした。危うく人殺しをするところでした。

で、話は戻りますが、なぜ硝子は石田を好きになったのでしょう。
正直私にはわかりませんでした。
硝子が優しすぎるトントンチキだったからかもしれません。
あの小学生の頃のいじめを、石田のせいだとは思っていなかったのかもしれません。
実際、石田一人のせいではなかったですが、その後再会して好きになるというのは、私のような一般人には難しいと思いました。
底抜けに優しいトントンチキでないとわからないのかもしれません。

健気といえば、硝子の妹の西宮結絃(にしみやゆづる)ちゃんも、お姉ちゃん思いの健気な妹でした。
硝子に石田を近づけないようにしたり、硝子の周りの人間を観察して気を利かせたり、硝子が自殺を考えないように、虫や動物の死体の写真を部屋に貼ったり。
それはもうかわいいかわいいボーイッシュ妹でした。

「聲の形」で良かったところは、当人や仲間たちだけでなく、母親との関係もしっかりと描いたことだと思います。
硝子の母親は気難しい人物ではありましたが、子供への愛情は物凄く強かったように感じます。
石田の母親の耳をピアスで引き裂くような、超怖い人ではありますが、それも娘への愛情ゆえのものと思います。
「自分の娘をいじめた男の母親には当然の報いです。」という意志の強さを感じました。
再び硝子と会うようになった石田に「会わないように」ときつく言うのも、娘への愛情ゆえです。

硝子の母親と石田は、結構あっさりと和解してしまいます。
硝子の母親の誕生日に、石田はほとんど強引に連れてこられます。
そこでみんなで硝子の母親の誕生日を祝い、「和解」とまではいかないまでも、「お互いに理解をしようとする」ようになりました。
自分の娘二人が、大事な日に招待するようになるまで「信頼関係」を結んでいることに気づいたのでしょうか。
もう少し丁寧に描いてもらえるといいなと思うシーンでした。

硝子の母親が、石田の母親の経営するヘアサロンに髪を切りに来るシーンはお気に入りです。
「自分の子供大好き大好き!」な母親同士が、お互いを理解し合えたというような、非常に印象的なシーンでした。

さすが京都アニメーションだなと思ったのは、硝子の表情の変化です。
硝子は、始めはヘラヘラっていう感じの笑顔が多かったのですが、硝子と石田の関係が深まるにつれ、多彩な表情を見せていきます。
それは「喜怒哀楽」などという4つの言葉で表せるような表情ではありません。「愛おしさの中にある苦しさ」のような、複雑な感情が「表情」として描かれています。

さて、映画のテーマに戻りましょう。
「許されるべきだろうか。」

私の意見は、「それはいじめられていた側が決めること」です。
私は一生心に傷が残るようないじめを受けませんでした。
おふざけ程度のいじめを受けましたが、それでもその人物とは一生関わりになるつもりはありません。

でも、「聲の形」の石田のように、本気で後悔し、本気で自分と向き合ってくれるのであれば許すかもしれません。
私は優しいですが、たぶん、硝子ほどは優しくありません。

そう、だから硝子だったから成立した贖罪だと思うのです。
映画で石田が許さされたからといって、みんなに当てはまることではありませんし、「そんなの絶対許さねぇ!」っていう声をあげる人がいても全然良いと思います。

「良かったね」「楽しかったね」だけで終わるのではなく、そういった議論ができるようであれば良いなと思う映画でした。




ぺんぎん

ぺんぎん の紹介

物語をこよなく愛する一般人。 物語ならば、映画、小説、アニメ、ゲーム、マンガなどなど、形態は問いません。ジャンルや作者に縛られない濫読派。
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