55歳からのハローライフ

小説「55歳からのハローライフ」 村上龍




あらすじ(ネタバレなし)

60歳という人生の節目を迎える人たちを描いた中編小説集。夫の定年後に離婚をし、再婚を目指して結婚相談所へ行く「結婚相談所」。リストラされ、ホームレスになることに恐怖を感じる男性が、大昔の友人と再開する「空を飛ぶ夢をもう一度」。早期退職に応じて会社を辞め、妻と自由気ままな旅をしようとキャンピングカーの購入を考える「キャンピングカー」。夫の態度に嫌気が差し、新しく飼った柴犬に愛情を注いでいく「ペットロス」。若い頃は水商売の女性とばかり付き合っては別れてを繰り返した元トラックドライバーが、清楚系の女性に恋をする「トラベルヘルパー」。

感想(ネタバレなし)

古い価値観を見直し、新たな信頼関係を築けるか。

バブルを経験し、先の見えない不景気の中で定年を迎える。そんな人達の物語です。
高齢化が社会問題になり、尊厳死などの「死に方」をテーマにする作品は増えました。それから、仕事だけに生きてきた昭和の男たちが定年後をどのように生きるかというテーマも増えました。「55歳からのハローライフ」は、それらよりももう少しだけ若い世代をテーマにした作品です。今まであまりスポットを当てられなかった年齢層だと思いました。
ポイントは「価値観」と「信頼関係」ではないかと思います。世の中は変わり、「何を大事にするか」が大きく変わってきた中で、昔からの価値観をずっと引きずってきた人もいます。同じ視点からしか見てこなかったからこそ、今まで見えていなかった物もたくさんあります。かつてはそれでまかり通っていたかもしれませんが、時を重ね、歳を重ね、小さなズレが段々と大きくなっていくこともあります。そこで気づき、変わり、新たな信頼関係を作っていけるか。それは老後を迎えるに当たって、大切な分岐点なのではないかと思わされました。

「55歳からのハローワーク」を読んでまず感じたのは、「この年代の人たちは、こんな考え方をして行動していたのか。」ということです。「年代」で人を分けて考えてしまうのは危険なことなので、「例えばこんな考え方をしてる人がいるんだよ」という認識で読んでいたのですが、納得する部分は多かったです。
昔からの価値観を必ず変えなければならないというわけではありませんが、多様な価値観があることに気づくことは大切なことだと思いました。

文庫本の解説を北野一さんという方が書いているのですが、そこにこんな記述がありました。

書店で『55歳からのハローライフ』の前を何度も通り過ぎていた。手に取ることはなかった。「ハローライフ」ではなく、「ハローワーク」と錯覚していたからだ。

私も全く同じことをしていました。そう「ハローライフ」なのです。お仕事ご紹介の本ではありません。お間違えの無いように!!

感想(ネタバレあり)

ここから先は、物語の核心に触れる記述があります。まだこの小説を読んでいない方はご注意ください。


スポンサーリンク
















「昭和の男の考え方」で最も印象的だったのは「キャンピングカー」のエピソードです。
主人公の富裕太郎(とみひろたろう)は、早期退職をして退職金でキャンピングカーを買い、妻と二人で気ままな旅をしようと計画していました。行きたい時に行きたい所に行き、その場の景色を楽しむ。仕事を辞めたらサプライズとして妻に打ち明けよう。きっと妻も喜んでくれるはずだ。
多くの人は違和感を感じると思います。「自分の喜びは妻の喜びでもある」、「妻は夫についてくるものだ」という考えが染み付いているのでしょう。「人はそれぞれに自分の時間が必要」、「夫婦はパートナーで協力し合うもの」という考えが理解できていません。
私は年配の知り合いが多くいるのですが、こういった人たちを少なからず見てきました(もちろんそうでない方もたくさん見てきました)。
「キャンピングカー」にはもう一つ印象的なエピソードがあります。

富裕が妻に旅行の計画を話した時、妻は難色を示します。「自分の時間も大切」と「老後の資金が心配」が大きな理由でした。富裕は「老後の資金」の心配を取り除くために、娘の勧めを受けて再就職を目指します。
中堅の家具会社で営業をしていた富裕は、あろうことかかつての取引先の社長に電話をして、「おれ、実は再就職を考えていて、社長のところで面倒見てもらえないかな」と抜かすのである。挙げ句、「役職にはこだわらない」「明日にでも会社に出向いて」などと言うのである。
まず、自分がその中堅家具会社の人間であったから取引をしてもらっていたことに気づいていないのです。さらに、取引をしていたときの感覚が抜けず、自分のほうが立場が上だと勘違いしているのです。
現実の世界でこのような人に出会ったことがないのですが、知り合いのご年配のかたからは「こういった人がいる」ということは聞いていました。納得するエピソードでした。

その後、富弘はどこの会社にも取り合ってもらえず、「電話とかではなく、まず履歴書をお送りいただいてですね、人事のほうにおいでいただくとか、筋としては、普通そういった形ではないんですかね」とまで言われます。まったくごもっともだと思います。
富裕は仕方なく人材紹介会社へ出向くのですが、若いキャリアカウンセラーにいろいろと質問されます。セミナー講師の経験はあるか、パソコンは使えるか、英語や中国語はできるか、海外赴任の経験はあるか。富裕にはどの経験もないんですが、もっと問題なのは「それを問題だと思っていない」ことです。自分が今まで会社でやってきたことは正しいとしか思っていないことです。
新卒で採用されて以来ずっと同じ会社で働いてきた人には、こういった考え方をしている人は多いのではないかと思いました。

富裕はそれでも受け入れていきます。「妻には妻の時間があること」も、「自分が今できることをしてく」ということも。人それぞれの価値観に気づき、受け入れ、その後に信頼関係を築いていく。そういうことを一番感じるお話でした。

価値観に関しては、「トラベルヘルパー」も印象的でした(面白かったです)。
主人公の下総源一(しもふさげんいち)は、元トラックドライバーです。若い頃はかなり稼いでいましたが、そのお金の多くを水商売の女性に使ってしまい、現在は時々トラックのアルバイトをしながらわずかな貯金で暮らしています。そんな下総は、書店で見かけた堀切彩子という女性に恋をします。
今までの水商売の女性とは全く違う、自分のことを「わたくし」と言うような女性です。二人は何度かレストランで食事をするのですが、ある日堀切は「もう会えない」と言います。
「夫が先物取引で借金をして、そのために水商売までしている。自分は下総と会えるような人間ではない。」と言うのです。
下総は堀切のことが好きだったので「二十万や三十万までだったら貸せる」と言います。さらに「水くさいなあ。おれたち、もっと何でも言える仲だったと思うけどな。」と続けます。この言葉を聞いて堀切はその場を立ち去ります。

先物取引で作った借金を二十万や三十万でどうにかできると思ってた下総はなかなか凄いですが、堀切がここで帰ってしまったのには別に理由があります。そのことは後で書くとして、この後が傑作でした。

ここで下総は、謝罪の意もこめて、とあるサプライズをしようとします。「トラックドライバーにしかできない」「いままで2度やって2度とも女を落とした」というサプライズらしいので、めちゃくちゃ期待して読みました。

できるだけ大きなトラックで、花束とケーキを持って夜に会いに行く。できたら背広を着て。

クソだせぇ。「きゃー、下総さん面白い!」とはなっても、「きゃっ!下総さん素敵!」にはならないでしょう。ならないでしょう?ならないですよね?
下総さん頑張ってたから真剣に読んでたけど、ごめんなさい、このシーンは笑ってしまいました。しかもネクタイは幅広。ははは。

こうやって古き良き価値観を引きずったまま歳を重ねてきた人は多いのかもしれません。

その日下総は、夫を車椅子に乗せて頭を撫でる堀切の姿を見てしまいます。
堀切は嘘をついていました。堀切は難病で施設に入っている夫を愛していました。
下総も大事な話を堀切にしていませんでした。小さい頃に過ごした三重県志摩町の海女小屋の思い出。
ふたりは本当に大事な部分を、お互い話していませんでした。「おれたち、もっと何でも言える仲だった」わけではなかったのです。本当に大事なことを話せる「信頼」が必要だったのです。

絶望した下総は自殺をしようとします。自殺を思いとどまったのは、このことに気づいたからだと思います。

下総は、介護が必要な人の旅を手助けする「トラベルヘルパー」の方々に偶然出会います。先の「信頼」の気づきがあったからこそ、自分もやってみようかと思えたと思います。

昭和の男といえば、「照れて言葉にできない」男って多いですよね。特に女性に対しては。
婉曲表現は文学的には美しいですが、夫婦関係においては直接的な表現のほうが「信頼関係」を築きやすいと思います。特に「褒め」と「感謝」に関しては。
「月が綺麗ですね」よりも「あなたが好きです」と言ったほうがいいと思うんです。

「ペットロス」にはそういう男が登場します。
主人公の高巻淑子(たかまきよしこ)は、子供が結婚して後、柴犬のボビーを飼い始めます。高巻はボビーを愛し、ボビーとの時間を大切にしました。しかし、ボビーも年を取り、病を患ってしまいます。死へと向かうボビーの看病をするため、高巻は3畳ほどの小さな部屋にこもります。ボビーのことをよく思っていない夫に配慮するためです。そんな高巻に向かって夫が言います。

「たかが犬じゃないか」

しかし、夫はあとで弁解しています。「おれとしては、無理するなと言ったつもりだったんだが、そのままとったんだな」

いや、そのままとるでしょう!「たかが犬=無理するな」の方程式が成り立つわけないじゃないですか!
高巻の夫は、その後、自分の気持をブログに書いて妻に渡します。口で言うのは照れくさいから文章にしたんですね。
その気持はわかりますが、やっぱり口にして伝えることって大事だと思います。「照れくさい」や「恥ずかしい」というハードルを勇気を持って超えて、口に出して直接気持ちを伝える。これは大事なことだと思います。
逆に、手紙や文字にする大切さっていうのもありますけどね。

高巻はこのボビーの件を通して、夫の態度や行動が婉曲表現であったことに気づきます。今までの行動や言動の裏にどんな想いがあったのかを考え始めます。そして、離婚を決意していた高巻は、もう一度夫との関係を考え直すことにします。
これからもう一度信頼関係を見直していくっていうことは、ものすごく大変なことだと思います。自信はなくともその一歩を踏み出そうとする主人公は強いなと思いました。

割と昭和の男のことを書いてきましたが、「男」の話だけではありません。実際「ペットロス」も主人公は女性だし、女性の視点から描かれています。
「結婚相談所」も、熟年離婚をした女性が主人公です。「一人で生きていく」ことを決意する女性の話です。

「空を飛ぶ夢をもう一度」の話を書いていませんが、この話が一番村上龍っぽかったように感じます。特に、荒唐無稽な感じが。
でも、一番わくわくする展開でした。次はどうなるんだろうどうなるんだろうって思いなが読めました。

私にとってはかなり上の年代のお話ばかりだったんですが、「じゃあ自分が実際その歳になったら?」を考えました。
古い価値観にとらわれず、多くのものに気づけるよう常にアンテナを張っていないといけないなと思いました。

スポンサーリンク




ぺんぎん

ぺんぎん の紹介

物語をこよなく愛するフリーライター。 物語ならば、映画、小説、アニメ、ゲーム、マンガなどなど、形態は問いません。ジャンルや作者に縛られない乱読派。
カテゴリー: 小説 パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA


日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)

この記事と同じカテゴリの最新記事