終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか?

アニメ「終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか?」




あらすじ(ネタバレなし)

地上の生物は、正体不明の怪物に荒らされた地上を離れ、空飛ぶ島「浮遊大陸群」に移り住むこととなった。その怪物によって人間は滅ぼされてしまったが、ヴィレム・クメシュは石化していたため、唯一生き残り、世捨て人のような生活を送っていた。ヴィレムは友人の紹介で兵器管理の仕事につくのだが、そこには「妖精兵」と言う名の武器である「少女」たちが暮らしていた。
使い捨ての兵器である彼女たちを救うために、ヴィレムは動き出す。

感想(ネタバレなし)

恋と幸せを探す女の子の物語

主人公はヴィレムという名の青年ですが、この物語でスポットライトを当てるべきキャラクターは、「クトリ」という名の妖精兵の少女でしょう。
クトリは自分が兵器であることを自覚し、やがて来る「死」に立ち向かい、折り合いをつけながら生きていました。
そんな少女が「恋」を知り、「生きること」を知っていくことになります。

「恋」を知らなければ、「死」を受け入れられたでしょう。もちろんいろいろな感情を押し殺しながらではありますが。
ですが、「恋」を知ってしまった以上、「死」は「恐怖」へと変貌します。

そして物語の中で問われるのは、「幸せとは何か」です。
ありきたりな答えではありますが、しっかりと「答え」を示してから物語が終わってくれます。

最近は「2期に期待!」という感じで、答えを有耶無耶にして終わってしまうアニメも多いです。
「あとは自分で考えてね!」と言わんばかりに、答えを示さずに終わるアニメも多いです。
とりあえずハッピーエンドにしとけばいいやっていう、投げやりなアニメも多いです。

ですが、「終末な(略)」はしっかりと答えを示してくれています。しっかりと完結をしてくれます。
世界観を広げた割には結構あっさりと終わってしまうとか、示された答えが「よくあるもの」であるとか、ストーリー展開が短絡的であるとか、不満はたくさんありますが、「答えをしっかりと示した」という点は、かなりポイントが高いです。
物語を制作する以上、作者の伝えたかったことや、考え方を伝えることは非常に大切だと思います。

少し真面目な話からはじめましたが、クトリのデレデレぶりを見るだけでも可愛すぎて死ねます。
恋する女の子は、やっぱりかわいいのです!
荒廃的な世界観で、悲しい出来事も多い物語ではありますが、クトリのデレっぷりで多くに人たちが救われたことでしょう!

感想(ネタバレあり)

ここから先は、物語の核心に触れる記述があります。まだこのアニメを見ていない方はご注意ください。


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設定がちょっと悲劇的過ぎました。

可愛い女の子たちが「兵器」として戦場に送られ、かわいそうなことをたくさんさせられるという設定は、アニメではよく見る設定です。
「ブラック・ブレット」もそうですし(ロリ)、「最終兵器彼女」なんかもそうですし(ロリ)、「GUNSLINGER GIRL」なんかもそうです(ロリ)。

終末な(略)も、そういったアニメに負けず劣らずの悲劇っぷりでした。
自分の命と引き換えに強大な敵を倒す術があったり(メガンテか?)、その術を使うことを軍が求めていたりと、戦う少女には厳しい設定が付き物のようです。

しかも、そのメガンテを使わずに済んだと思ったら、今度は前世の記憶に精神を侵食されていくというオマケ付きでした。

妖精兵は、幼いうちに死んでしまった魂で、死霊のようなものだそうです。しばらくは妖精兵としての「自我」をもっていますが、いずれは元々の魂の「自我」に侵食され、妖精兵としての自我を失ってしまう運命だそうです。
正に泣きっ面に蜂とはこのことでしょう。

この点に関して、アイセアという名の妖精兵は悲劇的でした。私はアイセアが大好きだったので辛かったです。

アイセアたんは、明るくて人懐っこいですが、実はしっかりと周りを見て考えている女の子です。
アイセアたんは、実はすでに元々の魂の自我に侵食されてしまっていました。ですが、妖精兵としてのアイセアたんが日記を残していたため、それを参考にして「妖精兵としてのアイセア」を演じながら生きているのでした。
アイセアたんは生きていますが、これは幸せでしょうか。
自分を殺して生きてはいますが、「それでも生きている」ことが彼女にとっての幸せだったのだと私は考えます。

それに対して、クトリはどうでしょう。
クトリは自分の精神が前世の魂に侵食されていく過程で、侵食を少しでも遅らせることを選択しました。大好きなヴィレムのことを忘れたくなかったからです。
ヴィレムのことが好きだという自分を失いたくなかったということもあったでしょう。

しかし、ヴィレムがピンチに陥った時、ヴィレムを助けて自分は消えるという選択をします。
「好きな人のために精一杯生きて、そして死ぬこと」が、クトリにとっての幸せだったのです。

「死」を選んだクトリに対して、クトリとはあまり仲の良くなかったノフトが文句を言いまくってました。
「勝手に死んじまってふざけんな」といった内容です。

「クトリに生きてほしい」と思っていた人たちはみんなが思っていたことです。ノフトが全て代弁してくれました。
大好きな人が死んでしまった時、残された者たちはみんなノフトと同じようなことを思うでしょう。

しかし、本人が思う幸せこそが本当の幸せなのです。
「幸せとは何か」という問に対して、物語ではそのように答えを出していました。

散々語られてきた「答え」です。いろいろな物語でも使い古されてきた「答え」です。でも、だからこそそれが真理なのではないかと思います。

物語全体としては、「ちょっとクドい」というのが私の感想です。
最後の戦闘はそんなに時間を割いてあれこれとやる必要はなかったんじゃないかと思います。
ピンチに陥ったときに助っ人が現れるという演出も多すぎて、ちょっとウンザリ気味でした。

世界観が散々広がっているのに、あまり話を広げずに終わってしまった印象もあります。
滅んでしまった人類のことも、色んな動物みたいな種族がいることも、過去に地上で何があったかも、あまり語られずに終わってしまいました。

その割に「クドい」と思わせたということは、ストーリー展開のバランスが悪かったのではないかと思います。
世界観は舞台であり、主役はクトリたちだったので、全てを説明する必要はありませんが、もう少し世界観に関する説明が欲しかったです。

でも、あの世界観に「スカボロー・フェア(Scarborough Fair)」は良く合っていました。第1話と最終話で流れた曲です。
アレンジも世界観に合った素晴らしいものでした。少し大げさ気味にダイナミックなアレンジになってます。転調なんかしちゃって、「これでもか!」ってくらいに盛り上げてます。
これが世界観のダイナミックさとマッチしていて素晴らしかったです。特に1話のスカボロー・フェアのシーンは、最近のアニメでも1番のお気に入りのシーンのひとつです。

それにしても、終盤のクトリのデレっぷりは気持ちが良かったです。
あれだけでご飯100杯はいけそうなかわいさでした。
恋する美少女はかわいい!正義です!!

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ぺんぎん

ぺんぎん の紹介

物語をこよなく愛する一般人。 物語ならば、映画、小説、アニメ、ゲーム、マンガなどなど、形態は問いません。ジャンルや作者に縛られない濫読派。
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