blackgaisha

映画「ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない」  佐藤祐市

あらすじ(ネタバレなし)

主人公のマ男は、いじめが原因で高校を中退し、その後ニートとなる。10年近くニートを続けたが、母親の事故死をきっかけに就職を決意。そこでひとつのIT企業に入社するのだが、そこは絵に描いたようなブラック企業だった。

感想(ネタバレなし)

そんな会社辞めちまえとしか思えない。

タイトルの通りブラック企業のお話なのですが、テーマは「なぜ働くのか」ということと「自分を変える」ということの2つだったように思います。

「なぜ働くのか」という問いに対して、「お金を稼ぐため」や「生きていくため」に決っていると答える人は多いと思いますが、私はそれだけだとは思いません。
私は好きなものが多く、趣味と言えるものも多いので、もっと休日が多ければいいのにと常々思っています。ですが、仕事を辞めようとは思いません。
おそらく、5000兆円持っていたとしても、なんらかの形で仕事をすると思います。
主人公のマ男にとっても、「生きていくため」だけではなく、別の働く理由がありました。

10年近くニートをやってきて、「さあ働こう」と思うのは、相当に大きなエネルギーが必要だと思います。マ男が「働く意味」を見つけ「自分を変える」というストーリーは感動的でした。
私は家族をテーマにした作品に滅法弱いのですが、その「家族」もテーマになっているのが良かったです。

ちなにみに、私も以前ブラック企業に勤めていました。それが「ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない」を見ようと思ったきっかけです。
残業は日常的に月80時間くらいしてましたし、多いときは150時間くらいしていました。もちろん残業代は出ませんでした。
お休みは年間70日に届かないくらいでした。もちろん休日出勤はつきませんでした。社長に物を投げられたこともあります。

そんなことでしたので、映画を見ながら「あー、それあるある!」と思いながら見ていました。当時のことを思い出して腹が立つシーンもたくさんありました。
私は1年半くらいそのブラック企業で頑張りましたが、馬鹿らしくなって辞めてしまいました。
なので、映画の「ブラック企業あるあるエピソード」が出てくるたびに、「そんな会社辞めちゃいなよ」とばかり思っていました。
ただ、物語の舞台は2007年ごろ。当時はまだ「転職」という言葉にネガティブなイメージがありました。「会社を辞める」「会社をクビになる」が、ものすごくパワーのある言葉だった時代です。
会社を辞められないのもうなづけるかなと思います。

「ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない」は、インターネットの電子掲示板「2ちゃんねる」に投稿された話が元になっています。いわゆる「電車男」系列のお話です。
「実話を元にしている」と言われていますが、私は実話ではないと思いました。もしくは、ものすごく脚色を加えた実話だと思いました。

ストーリーの展開がうまく出来すぎていますし、ちょっと安易な展開に感じました。「ブラック企業ではそんな明るいことや楽しいことはないよ!」って思ってしまいました。
特に終盤は不自然さしか感じませんでした。

なので、ブラック企業の実体や本質を知りたい人にはおすすめしません。あくまでも「主人公の成長」や「自分を変える勇気」を主体にして見る映画だと思います。

感想(ネタバレあり)

ここから先は、物語の核心に触れる記述があります。まだこの映画を見ていない方はご注意ください。


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不満は2つあります。

1つ目は、ストーリーがあまりにポジティブすぎることです。
どうしようもないクズのリーダーや、仕事が全然できないガンダムヲタが、最後の最後に「いいヤツ」に変貌していました(ガンダムは悪くない)。
私は常々「映画のときだけいいヤツになるジャイアンが嫌いだ」と言っています。普段から理不尽な命令を下し、折に触れては人に暴力を振るうジャイアンが、ちょっと映画でいいことをして「いいヤツ」認定されるのが許せないのです。
「いつもいいヤツ」の方が良いに決まっているのです。

そういうわけで、クズで仕事のできないリーダーが、いつもいじめ倒していた上原に向かって、「終わってないもんこっちに回せ!」って言ったときは吐き気がしました。
いいですか、人はそんなに都合よく変わりません。「自分を変えよう」と強く思い、そのために多大な努力をした人が変われるのです。そう、主人公のマ男のように。
クズリーダーをこんなに都合よく変えてしまったら、映画のテーマそのものが崩壊しかねません。
「自分が会社を乗っ取って、社員を奴隷のように働かせる。」と言っていた野心家の新人・木村も、最後にはチームプレイに徹するし、ちょっと安易な展開に感じました。

ただ、「仕事のデスマーチ」を通して社員同士の結束が強まるというのは確かにあります。「死線をくぐり抜けた戦友」みたいな感覚が生まれるのはわかります。
でも、それにしてもちょっと変わりすぎだなと感じました。

もう1つの不満は、映画が「ブラック企業で働き続けること」を肯定してしまったことです。
当時は「転職」はネガティブなものだったので、この結末は妥当だったのかもしれません。
これは完全な八つ当たりなのですが、2018年の現在の感覚で見てしまうと「何言ってくれてんねん!!」ってなってしまいます。
「相手は犯罪者だぞ!早く逃げろ!!」ってなってしまいます。

「身を粉にして働き、その努力の果てに成長できた(給料は安いけど)。さあ!これからも会社に身を捧げて自分を成長させよう(給料は安いけど)!」
というのを肯定しているように感じました。

主人公のマ男と、仕事ができる男・藤田さんが辞めるという流れになった時、「二人がやめたらこの会社は潰れてしまう!」っていうセリフが飛び出すんだけど、「そんな会社は早く潰れてしまえ。」としか思えませんでした。

ということで、「ブラック企業」を主体において見ているととっても残念なお話です。安っぽい三流ストーリーです。
ただ、「主人公が自分を変えようと努力する」という点に注目して見ていると共感できます。

ニートをしていたマ男は、小言を言う母親に対して「母ちゃんが死ぬまでには働いてやるよ!」と声を荒げます。しかし、そんなマ男のためにスーツを買ってきた母親は、帰り道に事故にあってしまい亡くなってしまいます。
あの言葉が最後の言葉になってしまった。マ男はそのスーツを着て、就職活動を行い、ブッラク企業に入社します。

まあ、あれです。設定としてはちょっとやりすぎ感があります。視聴者の感動を誘うために話を盛りすぎて、逆に嘘くさくなってしまっています。もう少し控えめな設定にしたほうが、逆に共感できたように感じます。
とはいえ、このエピソードは「マ男の決心のきっかけ」であり、「家族の絆」を表現する大切なエピソードです。

そしてマ男は、長時間残業に耐え、理不尽な業務命令にも耐え、経費で落ちない自腹タクシー代にも耐え、リーダーからのパワハラにも耐え、成長していきます。

ブラック企業で耐えてきた人は、本当はもっと活躍できると思います。時代は変わり、「転職」にネガティブなイメージを感じないことも多くなってきました。
頑張って成長したマ男が、あんなクソ会社を辞めて、今は良い企業で活き活きと働いてくれていればいいなと思います。

主役のマ男を演じているのは小池徹平(こいけてっぺい)です。
ドラゴン桜ではゴミのような演技を披露していましたが、ちゃんと演技ができるようになっていました。それが見られただけでも収穫でした。

ブラック企業に勤めているみなさん!耐えることは美徳ではありませんからね!そこは間違えてはいけません!

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ぺんぎん

ぺんぎん の紹介

物語をこよなく愛する一般人。 物語ならば、映画、小説、アニメ、ゲーム、マンガなどなど、形態は問いません。ジャンルや作者に縛られない濫読派。
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