レイクサイド マーダーケース

映画「レイクサイド マーダーケース」 青山真治

あらすじ(ネタバレなし)

名門中学への受験対策のために、湖畔の別荘で合宿をする3人の子供たちとその両親たち。子供たちのひとり・並木舞華の両親は別居中。舞華の父親の俊介は、子供の中学受験に疑問を抱きながら合宿に参加する。しかし、俊介の愛人の高階英里子が合宿中の別荘に現れ、その晩、英里子は俊介の妻・美菜子によって殺されてしまう。3組の両親たちは、子供のことを思い、事件の隠蔽と死体の遺棄を計画する。俊介は「こんなのおかしい。」と訴えながらも手を貸していく。

感想(ネタバレなし)

「子供のことを思う」とは一体何なのか。親の考える子供の幸せ、子供から見る親の姿。ひとつの事件を通して、お互いが持つ感情と、その感情の暗い部分までを描いたミステリー。

しょっぱなからB級映画感がすごかったです。映画のタイトルが出てくるシーンなんか、夏の特番の恐怖番組のテロップのようなちゃちい作りで、「これはツッコミどころ満載か??」と思いましたが、映画のテーマ自体は真面目で、いろいろと考えさせられる映画でした。いや、ツッコミどころは結構あったんですけどね!

全体的に暗くて不穏な感じがする映画でした。殺人が起こるので当然怖いシーンはあるのですが、それよりも、子供のことを考えているからこその「親の狂気」のようなものが感じられて、そこが非常に不気味でした。ちょっと中学受験に対して否定的すぎる描き方なのは気になりましたが、もしかしたら受験ガチ勢の中にはこういう感じの親もいるのかもしれません。この「もしかしたらあるかもしれない狂気」という現実味が不気味だったのかもしれません。

サスペンスやミステリーとして見ていると、いろいろと穴があってツッコんでしまうのですが、「狂気」という部分では面白かったです。人が死んでいるのに、「子供の受験のため」「子供の将来のため」と言いながら、死体を遺棄しようとするなんて正気とは思えません。ですが、全く理解できないかというと、理解できなくもないと思いました。もう少し最後の方まで見ていくと、「ああ、これは理解できるかもしれない。」と思えました。この、「自分の中にも潜んでいるかもしれない狂気」の部分を描いている所が良かったと思います。

役所広司と柄本明という、私の大好きな俳優さんが2人も出演していました。どちらも素晴らしい演技でした。役所広司は、迷いに迷いながらも自分の信念を捨てきれないくせに、自分に言い訳をしながら家族と別居し、愛人を作ってしまっている程良いクズを、人間臭く表現していました。柄本明は、冷静さの中に潜む狂気を見事に演じていました。
そして、この映画で最も印象的な演技を見せてくれたのは薬師丸ひろ子です。母としての顔も、女としての顔も、迷い苦しむ顔も、時々何かが取り憑いたように訴える時の顔も、本当に素晴らしかったです。

正直、これだけ素晴らしい演者さんを揃えたのなら、もう少し良い映画が撮れたんじゃないかなとも思います。原作も東野圭吾ですし。予算の問題があったのかどうかは分かりませんが、テーマが面白かっただけにちょっと惜しい感じがしました。

感想(ネタバレあり)

ここから先は、物語の核心に触れる記述があります。まだこの映画を見ていない方はご注意ください。


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最後のシーンでこれだけ映画全体を台無しにする作品を、久しぶりに見た気がします。

湖に沈めた高階英里子の目が開き、腐ってグロテスクになっていって、目の所に並木俊介が落としてしまったイニシャル入りのライターが挟まっているというラストシーン。あのライターを落とすシーンは何の伏線になっているんだろうと思ったら、こんなゴミみたいなシーンで回収されましたね!
ここまで「静かな狂気」を描いてきたのに、最後だけB級ホラーシーンをツッコんでくるなんて頭がおかしいのかと思いました。冒頭のタイトルが出るシーンもそうですが、この監督、本当はB級ホラーが撮りたかったんじゃないでしょうか。
しかも何が酷いって、このラストシーン、あってもなくても良かったでしょっていうこと。ストーリーにもテーマにも何の関連もないのに、意味もなくぶっ込んできて映画を台無しにするという暴挙ですよ!

はい、ということで、他にもツッコミどころはあるのですが(あとでツッコむ)、テーマとしては面白かったです。ずっと「俊介の妻の美菜子の動機が弱いな。」って思っていたのですが、真相はやはり別にありました。犯人は子供たちだったという真相です。ただしこれは、今度は子供たちの動機が全然分からなくなってしまうという諸刃の剣でもありましたが。

犯人は3人の子供たちのうちの誰か、もしくは複数人。それは死体のそばに残っていた足跡から、親たちが推測した結論です。本当にそうだったかは描かれていません。

3人の子供たちの講師を務めていた津久見勝は、実は3人の志望校の人間にお金を渡し、受験問題を教えてもらっていた。俊介を除く両親たちはそのお金を津久見に渡していた。それを知った高階英里子は、津久見に詰め寄る。その晩、高階英里子は子供たちによって殺され、親たちは事件の隠蔽を図る。

自分の子供が殺人を犯したかもしれないと知った時、親が取る行動としては非常に納得のできるものでした。だから美菜子の動機はしっかりとしたものだったのです。さらに美菜子は、自分が犯人の役をすれば、舞華の本当の父親ではない俊介にも、本当の親の気持ちが分かってもらえるかもしれないと考えていました。死体の遺棄に関しても、犯人役を買って出たことに関しても動機はしっかりとしたものだったのです。

これは柄本明が演じた藤間智晴も言っていましたが、「本当に子供を愛しているのならば罪を償わせるべきだなんて世間は言うが冗談じゃない。」です。「よく犯罪を犯した子供を庇うなんて、親も馬鹿なんだ。」という意見を聞いたりもしますが、その通り馬鹿なんだとも思いますし、それが親なんだろうとも思います。
「親なら子供を分かろうとすべきなんじゃないですか?」という俊介の問いかけに、美奈子は「分からないのよ。」と答えます。「母親」という、子供との距離が最も近い人物ですら分からない。だからこそ葛藤するのでしょう。確かに、どんなに近くにいても、自分でない人間のことを理解するのは不可能だと思います。だから理解しようとすることを諦めてしまってもいいという訳ではありません。ですが「絶対に分からない。」ということを覚悟して接しなければならないと思います。

こうして見てみると、俊介の立場は「世間一般の意見」側、その他の親たちは「子供を思う親個人」側を象徴していたように思います。どんなに理想や正論を述べてみたところで、無条件に子供を愛してしまう親を頭ごなしに否定はできないのです。

こういったことを考えさせられたという点で、テーマの面白い映画でした。

あと少しだけツッコませてもらうと、俊介の愛人の英里子の行動が良く分かりませんでした。お仕事はアート関係の写真家という感じでしたが、塾講師の不正を暴く探偵紛いのことをしたり、その写真を持って詰め寄ったり、彼女の行動原理は一体何だったのでしょうか。しかもあっさり子供に殺されてしまうとは。
それに、子供たちはなぜ英里子を殺したのでしょう。映画の中では、屈折した親との関係のようなものが描かれていましたが、それだけで動機の弱い殺人を犯すとは思えません。

ということで、ミステリーとしてはちょっとアレな部分もあるのですが、映画全体に感じる狂気や、テーマに関しては非常に良かったと思います。

基本的に親視点で描かれていましたので、子供側の視点があまり伝わらず、だからこそ不気味さを感じました。子供は、「子供を愛するがゆえに屈折している親」の像を、しっかりと感じ取っているようでした。それを感じ取ったうえで、両親との関係を築いていこうとしているように描かれていました。さて、その子供たちが親たちに抱く感情とは。講師の津久見が、「悲しい」という表現をしながら少しだけ語っていましたが、残りの部分は見ている側の想像に任されるという形です。この子供たちの視点を想像しながら見るのも、なかなか不気味で面白いと思います。

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ぺんぎん

ぺんぎん の紹介

物語をこよなく愛する一般人。 物語ならば、映画、小説、アニメ、ゲーム、マンガなどなど、形態は問いません。ジャンルや作者に縛られない濫読派。
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