psychopass

映画「劇場版 PSYCHO-PASS サイコパス」 本広克行・塩谷直義

あらすじ(ネタバレなし)

22世紀初頭の日本。この国では、人々の心理状態や性格傾向を計測、数値化するシステム「シビュラシステム」を導入している。このシステムにより、人々は自らに最も適合した未来を推奨され、ストレスの少ない生活を送ることができる。また、犯罪を犯す可能性の高い人々を事前に計測し、隔離し、その傾向が下がるまでセラピーを受けさせることにより、犯罪を未然に防ぐことさえできる。その治安維持を担当する厚生省の警察組織「公安局」の刑事・常守朱(つねもりあかね)たちを中心とした物語。
このシビュラシステムを東南アジアの紛争国へ輸出し、実験的な運用を始めた頃、その国のゲリラの中に、朱のかつての仲間・狡噛慎也(こうがみしんや)の姿が浮かび上がる。朱は狡噛を追って東南アジアへと向かうのだが・・・。

感想(ネタバレなし)

これから到来するであろう監視社会と、人々の自由に対して一石を投じる問題提起的作品。

テーマとしては、アニメシリーズの第1期と第2期と変わりません。監視社会の中で生きる人々の幸せと、監視社会の中で生きる自由の制限された息苦しさと、それぞれの良い所悪いところを、中立的な立ち位置からの視点で訴えかけてきていいます。
もちろんフィクションですので、かなり大げさに表現されてはいますが、それでも「近い未来にこういった社会が作られる可能性はある。」と思えます。特に、犯罪を未然に防ぐことができるということになれば、世論もかなり監視社会側に動くのではないかとも思えます。もちろん、まだ犯罪を犯していない人間を拘束することになりますので、簡単にはいかないと思いますが。

さて、映画の方では、これでもかっていうくらい分かりやすい悪役が登場して、なんとも興醒めではあるのですが(「興醒め」と「狡噛」って似てますね!)、それでも尚、いろいろと考えさせてくれる作品でした。朱ちゃんの意志も強固なものになっていて、大変頼もしくなっていました(それにかわいい)。

映画ということで、アクションシーンがド派手になっていました。火薬武器をふんだんに使った銃撃戦や、ジャッキー・チェンを髣髴とさせるようなカンフーアクションなど、よく動くアクションでした。ジャッキー・チェン好きの私としては、大変満足のいくアクションでした。
アクションシーンが多いということで、グロシーンも多かったです。お約束のドミネーターによる「グチャッ」っていうシーンもありましたし、銃器により大量虐殺なんかも描かれています。ですが、「グロ」を推しているというよりは、観客に訴えるのに必要だから「グロ」を妥協せずに使ったように見えました。とはいえ、苦手な人は注意が必要と思います。

アニメシリーズに比べて、全体的に「分かりやすい」感じがしました。個人的な趣味としては、もっと掘り下げてほしかったと思います。アクションを優先した分、テーマを掘り下げる時間が奪われた感じがしました。私はアニメシリーズの方が好きでした。
ですが、2時間、頭がパンクしそうにならずに見られる程良いバランスだったのかなとも思いました。

感想(ネタバレあり)

ここから先は、物語の核心に触れる記述があります。まだこの映画を見ていない方はご注意ください。


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すいません、最初によく理解できなかったところを書いておきたいのですが、最初に日本に送り込まれた密入国外国人テロリストたちって、何が目的だったんでしょう?誰が送り込んできたのか、結局明かされたんでしたっけ?日本の政府側だったチュアン・ハンにも、シビュラシステムを輸入したSEAUn(シーアン)にも、デスモンド・ルタガンダの傭兵部隊にも、日本にテロリストを送るメリットはなかった気がするのですが。映画冒頭からドンパチやる導入シーンですし、朱が狡噛を発見する過程でもあるので、大切なことではあるのですが、すいません、私が見逃してしまったか、ここだけはよく分かりませんでした。

さて、映画の中の主な勢力は3者でした。日本と、シーアン(の一部憲兵隊)と、シーアンの反体制勢力。結局、頭の悪かった憲兵隊が貧乏くじを引かされるお話でした。この圧倒的に分かりやすい悪役はちょっとどうかと思いますです。しかも頭悪い。

紛争国でのし上がった軍閥組織が、日本のシビュラシステムの導入を利用して、その力を強固なものにしようとしました。これに疑問を感じた反体制勢力は武力を持って抵抗します。
憲兵隊はシビュラシステムを不正に改変し、憲兵隊の人間の犯罪係数を改ざんしていました。そして憲兵隊は、議長であるチュアン・ハンを殺害し、替え玉を用意します。この替え玉を日本政府が用意したことから、憲兵隊は「日本が我々を黙認し、味方してくれている。」と勘違いします。しかしこの替え玉は、実はシビュラシステムを構成する一部であり、シーアンにおけるシビュラシステムの足がかりができたら、憲兵隊を排除する腹積もりだったのです。

つまり、朱を含め、全てがシビュラシステムの手のひらの上で踊らされていたということになります。とりわけ憲兵隊たちは本当に貧乏くじでした。まあ、自業自得ですが。

今回は、シビュラシステムの届かない外国の地を舞台にすることで、今まで以上に「監視社会VS民主主義」が中立的に描かれていたように感じました。シビュラのない世界では平和というものは極めて希少なもので、シビュラの導入を人々が強く渇望していました。逆に、平和と自由が対義的なものとして、極端に描かれていたようにも感じました。自由の制限なくして、平和は訪れないと言っているようにも思えました。

最後には、朱の訴えにより、チュアン・ハンは辞任。公正な選挙によって、シビュラシステムの導入の是非を問うことになりました。結果はわかりきっています。茶番と言われても仕方がありません。それでも朱は、その茶番を望みました。「歴史には敬意を払いなさい。」と訴えて。

現代社会では、民主主義というものが湯水のごとく湧き出ているので、そのありがたさを実感することはほとんどありません。選挙に行く人たちはどんどん減っていき、「誰がやっても同じ。」という言い訳を吐きながら、その重大な権利を道端に放り投げているほどです。「持っているもののありがたさはわからない」ものなので、頭ごなしに非難はできませんが、民主主義を勝ち取った人々の血の滲むような努力を歴史から学べば、ありがたさのほんの一欠片でも感じることはできると思います。

を、一言で表した「歴史には敬意を払いなさい。」に感じました。一言で多くのメッセージを盛り込んだ、素晴らしいセリフだと思いました。

今回は体制側のチュアン・ハン(本当はシビュラシステム)に対して放ったセリフなので、本当はちょっと意味合いが違うのですが、映画を見ている側としては、そういった印象を受けました。
サイコパスシリーズは、こういった社会に対する問いかけ的な部分が多く、そこが好きでずっと見ていた作品です。映画ではこのテーマに関して印象に残ったのはこのシーンだけだったのが残念です。もっと突っ込んでほしかったです。

そういえば、シビュラシステム導入の中で生きる一般市民代表として描かれていた、朱のお世話をしてくれたヨーちゃん。この子かわいそうでしたね。

シーアンでは、暫定的なシビュラシステムの導入ということで、まだ潜在犯を隔離厚生する施設ができていませんでした。そのため、潜在犯には、薬物によっていつでも行動を鎮圧できるような首輪がはめられていました。ヨーちゃんもそんな人たちのひとりで、憲兵隊の大佐・ニコラス・ウォンによって「兄の首輪を外す」という取り引きを持ちかけられたらしく、朱が飲む水に睡眠薬を混入しました。しかし、役目が終わると、ウォンによって射殺されてしまいます。なんというゲス!!

この辺りの社会構造ももう少し掘り下げてほしかったところではありますが、ゲスの憲兵隊大佐という「分かりやすい構造」のまま終わってしまいました。残った感想は「ヨーちゃんかわいそう。」だけでした。

ということで、全体的に「もう一声!」っていう感じの映画だったと思います。まぁ、期待値が高かったせいもありますが。
カンフーアクションは楽しかったですよ!

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ぺんぎん

ぺんぎん の紹介

物語をこよなく愛するフリーライター。 物語ならば、映画、小説、アニメ、ゲーム、マンガなどなど、形態は問いません。ジャンルや作者に縛られない乱読派。
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