カシオペアの丘で

小説「カシオペアの丘で」 重松清




あらすじ(ネタバレなし)

かつて炭鉱で栄えた北海道の小さな街。小学4年生の仲良し4人組である、トシ、シュン、ミッチョ、ユウちゃんは、星を見るために丘を登る。4人はその丘を「カシオペアの丘」と名づけ、「ここが遊園地になったらいい。」と夢を語り合う。
30年が経って、トシとミッチョは夫婦となっていた。トシは車椅子の生活となり、市役所からの出向という形で、遊園地「カシオペアの丘」の園長を務めていた。そんな折、小さな女の子が殺害される事件が起こる。この事件がきっかけとなり、東京でテレビの仕事をしていたユウちゃんや、ガンで余命わずかと宣告されたシュンも含めて、4人の人生は再び絡まり合っていく。
祖父がトシの父親を殺し、自身はトシを車椅子の生活にしてしまったと、生まれた町を遠ざけていたシュン。東京でのシュンとの生活を隠しながらトシとの結婚生活を続けるミッチョ。おどけながらも優しくみんなを見つめるユウちゃん。
一人の人間の死を前に、「ゆるす」ことと「ゆるされる」ことに正面から立ち向かう人々を描く感動作。

感想(ネタバレなし)

まず最初に言っておかなければならないのは、「この本を外で読んではいけない。」ということです。私は基本的に電車の中で本を読むタイプの人間なのですが、そうです、電車の中で泣いてしまいました。それはもうダラダラと。しかも、泣いてしまうポイントが物語の要所要所に潜んでいて、「最後はきっと泣いちゃうから、最後の所だけ家で読もう。」作戦が全く使えませんでした。きっと、「あー、なんか電車の中で本読みながらうぇんうぇん泣いてる変な人がいるー。」と、周りの人に思われたと思います。(うぇんうぇんは泣いてない)

「人の死」を描く物語ですので、悲しくて泣いてしまうというのもありますが、カシオペアの丘の泣きポイントは「悲しさ」だけではありません。魅力的なキャラクターを作り上げて、最後にコロッと死亡させてお涙を頂戴する物語はたくさんあるのですが、そんな陳腐な内容ではありません。そもそもテーマは「ゆるし」の部分にありますし。
カシオペアの丘での泣きポイントを言葉で表すのならば、「優しさ」でしょうか。「優しさ」に涙するのです。この感覚は何かに似ているなと思ったのですが、きっと浅田次郎です。浅田次郎の「天国までの百マイル」や「椿山課長の七日間」を読んだ時のような、優しい涙が流れました。

ただ、「命」や「ゆるし」などの重いテーマを扱っており、お話もかなりの長編で、様々な人物の感情が絡まり合っていきます。「泣ける小説」と思って軽い気持ちで手を出すとヤケドします。お取り扱いは慎重に!

基本的には幼なじみ4人を中心に物語は進んでいくのですが、その周りの人物もしっかりと掘り下げられていました。私は幼なじみの中ではユウちゃんが一番好きでした。いつもバカなことばっかり言っているのですが、それはちゃんと周りを見ながら、相手のことを慮って言っています。いわゆる頭脳派ムードメーカーです。でも、頭脳派なんて言ったらユウちゃんに怒られそうです。
いや、ユウちゃんの話を書きたかったわけではなくて、「周りの人物もしっかりと」の部分を書きたかったのです。私がこの物語で一番好きだったのは、テレビの仕事でユウちゃんと知り合った、ミウちゃんという人物です。初めはキャピキャピ(死語)とした若い女の子として描かれるミウちゃんですが、自分の心の中にあるものを抱えて隠したまま、自分のなりの答えを探して前に進もうとするしっかり屋さんです。ズカズカと踏み込むような質問を明るい声で投げかける、何も知らない若い女の子を演じながら答えを探す、真っ直ぐな子です。
それと、殺されてしまった女の子の父親の川原さんのことも、非常に丁寧に描かれていました。シュンのおじいちゃんや、奥さんや息子など、ひとりひとりの心情を丁寧に紡いでいます。

「そりゃこれだけのページ数になるな。」っていう、納得のボリューム感です。
もうひとつ素晴らしいところを挙げると、この物語は「ゆるされたいと思う人たち」の苦悩だけではなく、「ゆるしたいと思う人たち」の苦悩も描いているところです。ワンサイドではなく、両サイドから物事を見ている物語は良い物が多いです。

この本を手に取った理由ですが、ほぼタイトル決めです。小学五年生の少年を主人公にした短編集「小学五年生」を読んだ時に、「ああ、重松清いいな!」って思って、何かもう一冊読もうと思って書店を訪れました。その時にタイトルだけ見て買ってきました。
そうです!私は星が大好きなのです!物語の中でも星は重要な役割を担っていて、星好きの私としては非常に嬉しかったです。冒頭からボイジャー1号、ボイジャー2号の話が出てきて、それはもう楽しく読めました!(やや趣旨がズレてる)

感想(ネタバレあり)

ここから先は、物語の核心に触れる記述があります。まだこの小説を読んでいない方はご注意ください。


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4人の幼なじみの子供のシーンから始まり、本編が始まると突然30年の年月が流れているのがなかなかトリッキーでした。
その30年間にあった出来事を、物語が進んでいく中でチラホラと明らかにしていきます。特に、トシが車椅子の生活になっているのは、シュンに原因があるということが所々で言及されるのですが、ちゃんとした説明がされるのは物語の終盤です。シュンとミッチョが東京で何かあったということも所々で言及されるのですが、しっかりとした説明がされるのは物語の中盤以降です。
このように、4人の幼なじみの空白を、4人がそれぞれに埋めていきながら、読者たちにも説明がされていきます。幼なじみたちと一緒に空白を埋めていくような気分にさせられ、自然と物語に吸い込まれていきます。

物語が重厚でしたので、書き残しておきたいことはたくさんあるのですが、最早どれから書いて良いのかも分からないし、全て書いたらとんでもない量になりそうです。なので、少しずつかいつまんで書いていこうと思います。

まずは「倉田」と「浜田」のことから。倉田俊介(シュン)の祖父・倉田千太郎は、4人が育った街・北都に炭鉱を作った人物だった。4人が生まれた年、炭鉱で事故があり、鉱夫が炭鉱内に取り残されてしまう。浜田敏彦(トシ)の父親は消防隊員として救出に向かうが、自身も炭鉱内に取り残されてしまう。炭鉱内は火災も起こっており、生存は絶望的。倉田千太郎は炭鉱内への注水を命じ、トシの父親たちの命と引き換えに火災を鎮火させた。
そのことを母から聞かされたトシは、シュンに決闘を申し出る。シュンは何も知らず、決闘の意味も分からない。だがその帰り道でトシは自転車に乗ったまま崖から落ちてしまい、大ケガをして入院。千太郎のことを知ったシュンはトシのお見舞いにも行けず、一度だけ手紙を書いてトシの家へ訪れた時も、トシの母親に見つかり、手紙を破かれ、「トシくんまで、ころさないで。」と言われてしまいます。シュンはそれから北都を離れ、東京の大学へ行き、東京で就職し、東京で結婚をして子供を授かります。

シュンもトシも千太郎を恨みます。千太郎の選択が間違っていないことを分かっていながらも、千太郎を恨みます。
トシはシュンのことも千太郎のことも、ゆるしたいと思いながらも心の底では許せずにいます。ゆるさないことで、自分の心を支えているから。トシのお母さんと同じ。トシのお母さんは、「倉田をゆるさない」ことを心の支えにして、寂れていく炭鉱の町で、ひとりでトシを育てました。
トシは言います。「おふくろが支えなしでも生きていけるように、がんばらなくてもいいようになったら、安心してシュンを許してやったはずなんだ。」。このセリフは自分に対して言って言葉でもあるでしょう。

千太郎も毅然とした態度を取りながらも、ずっと「ゆるされたい」と思っていました。それが無理であることを知っていながら。ゆるされないことを知っていたからこそ、町のどこからでも見える大きな観音様を建てたりしました。千太郎は死の直前、朦朧とした意識の中で、その北都観音の中で、自分で自分自身をゆるします。小説全体のテーマにもなっていますが、「ゆるされる」ということは、必ずしも他人にゆるされるということではありません。「自分が自分自身をゆるす」こともゆるしです。そのことが、この千太郎のエピソードを通して描かれていたように感じました。

トシとシュン、シュンの奥さんの恵理さんとミッチョの関係は魅力的でした。シュンとミッチョは大学時代、東京で付き合っていました。ふたりに子供ができましたが、生まれる前に死んでしまいます。ミッチョは産む気で、シュンは堕ろす気でいて、しかし赤ちゃんは死んでしまいます。
ミッチョはトシとシュンのことをよく分かっているので、夫であるトシには黙っていました。東京でシュンに会ったことさえ黙っていました。それでも最後には、トシとミッチョは過去と向き合います。過去のことをしっかりと話して、それでも「今が幸せ」であることを確かめ合います。
恵理さんはシュンとミッチョのことに感づいてはいましたが、シュンを問い詰めませんでした。それでもシュンは話すことを決意します。シュンが話そうとすると恵理さんはシュンの話を遮り、全てを理解して受け入れていきます。
この二組のカップルの過去の受け止め方が、それぞれ優しくて魅力的でした。形は違えど、相手を想う気持ちは変わらないなと。

シュンが死んでいくお話ではあるのですが、シュンと恵理さんと、ふたりの息子である哲生くんとの家族の関係性がとても温かく、救いがありました。病院でのガンの宣告を夫婦ふたりで受け、それぞれが辛い思いをしながらも、少しずつ受け止めていきます。哲生くんには初めはガンのことを秘密にしていましたが、家族3人で北都へ旅行へ行った時に打ち明けます。10歳の哲生くんは子供なりにそれを受け止め、泣いて、駄々をこねたりもしながらもゆっくりと受け入れていきます。10歳の哲生くんは、10際に似つかわしくない成長をし、読んでいる側としてはそんな哲生くんが誇らしくもあり、寂しくもありました。しかし哲生くんがいたからこそこの家族は救われますし、夫婦はシュンの死を悔しがりながらも受け入れます。もともと家族もののお話には滅法弱い私ですが、哲生くんには何度泣かされたことか・・・。本当に良い子です。

重い話が続きましたので、私が好きなキャラクターについて書いていこうと思います。(なるべく明るい話題を!)
4人の幼なじみの中ではユウちゃんが最高でした!子供の頃、トシとシュンは常にライバルでした。まだ過去のことを何も知らなかったトシとシュンは、いろいろなことに張り合っていました。それはミッチョのことについても。そんなふたりを見守りながら、絶妙なタイミングでおバカことを言って場を和ませてしまうハイパームードメーカーのユウちゃんです。いつまでたっても職業を転々として落ち着かないユウちゃんです。若いころは、酒を飲んで青臭い人生論を語っちゃうユウちゃんです。
みんなが疎遠になってからも、きっとこっそりと機会を伺っていたに違いありません。4人の人生が交差するきっかけとなったのは、川原さんの娘・真由ちゃんが殺された事件なのですが、その後ユウちゃんがお節介なほどあれやこれやと根回しをしなければ、やっぱり4人は会わずじまいだったかもしれません。心の底から優しい、愛すべきおバカキャラです。

ユウちゃんは、「子供の頃、トシとシュンのどっちが好きだったんだ?」と、大人になったミッチョに問います。ミッチョはその場では答えませんが、後でコッソリとユウちゃんに答えます。「子供の頃はユウちゃんが好きだった。」と。
このシーンはね、完全にトシとシュンの(過去の)対決構造だったミッチョ関係が、ガラガラっと音を崩れた瞬間でした。そして同時に、ユウちゃんファンの私にとっては心がポカポカ温かくなりました。本当に良かったね!ユウちゃん!!

さて、満を持してミウちゃんの話をしましょう!「美唄」と書いて「みう」です。このミウちゃん、序盤からミッチョに鋭い質問を投げかけてくるし、街の人たちから恐れられ、炭鉱への注水を行ったという倉田千太郎のことを「結構好きだ」と言ったり、ちょっと普通とは違う雰囲気を出していて気になっていました。そして「北都の街」と「倉田千太郎」のこと追い、4人の幼なじみたちにもグイグイと食い込んでいきます。不自然なほどの熱心さの理由は、物語の終盤で語られることになります。ミウちゃんもゆるしを欲していたひとりだったのです。

ミウちゃんは交通事故を起こして、おばあさんに怪我をさせてしまいます。おばあさんにも重大な過失があり、事故が直接の原因でおばあさんが死んだわけではないのですが、ミウちゃんは自分自身をゆるすことができず、車の運転もできなくなってしまいます。事故の後、足繁くおばあさんのお見舞いに通い、おばあさんの家族の人たちにもミウちゃんは恨まれていませんでした。ただひとり、おばあさんの孫らしき小さな女の子だけが、ミウちゃんを睨んでいました。
倉田千太郎や、4人の幼なじみたち、それに川原さんたちと共にいることで、「ゆるし」を探していました。結局最後は荒治療とも言える方法で車の運転ができるようになるのですが(笑)

ミウちゃんは、物語のテーマを語る上でも重要な登場人物なのですが、物語の核となる部分以外でも、要所要所でおもしろい(魅力的な)要素を見せてくれるキャラクターでした。札幌に住んでいた倉田千太郎が、北都に住みたいと言い出して、北都観音のすぐそばに引っ越してきます。その時に、ここぞとばかりに倉田千太郎の世話役を引き受けたミウちゃんは、倉田千太郎のことを「クラセンさん」と呼びます。街の人々に恐れられた人物を「クラセン」です。初めて「クラセン」という単語を見たときはめちゃくちゃ笑いました。物語のテーマとは全然関係ないのに、「クラセン」は私の最高のお気入りのフレーズです。

ミウちゃんの話をもうひとつだけ。シュンの誕生日に、みんなで集まって誕生会をします。哲生くんの司会進行のもと、みんなでプレゼントをあげたりしながら和気あいあいと誕生会は進んでいくのですが、最後に哲生くんは泣きながら「やだやだやだやだやだやだ」と駄々をこねます。それを見てミウちゃんは、ふえーん、と声をあげて泣くのです。「ふえーん」って!!!もう涙涙で読んでいたシーンなのに、ミウちゃんの「ふえーん」で、完全に泣き笑いですよ。哲生くんだってそんな泣き方はしませんよ!まったく!!

カシオペアの丘でのもうひとつのテーマである、川原さんと、川原さんの奥さんの典子さん、そしてふたりの娘の真由ちゃんの話を一言も書かずにこの感想文は終わっていきます。なんともわき道にそれにそれた感じになりましたが、思いの外書きたいことが書けた気がしています。

最後に、あとがきに書いてあったのですが、このカシオペアの丘にはモデルがあるそうです。大きな観音像と小さな遊園地のある街。北海道芦別市にある「カナディアンワールド公園」という場所だそうです。一度訪れてみたいと思ってます。その場所に一度訪れてみたいと思わせるほど、強烈に惹きつけられた小説でした。

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ぺんぎん

ぺんぎん の紹介

物語をこよなく愛する一般人。 物語ならば、映画、小説、アニメ、ゲーム、マンガなどなど、形態は問いません。ジャンルや作者に縛られない濫読派。
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